幸か不幸か
最近、人はもしかしたら他人の事を不幸だと思いたいのかもしれないと思っている。
例えば、「そこで犬のウンコ踏んじゃったんだよねー」
って言うと
「え!?大丈夫?怪我はない?何であんな所にウンコあるの!?飼い主は間違ってる!」
みたいな感じで返ってくる事が多い。
確かにウンコは飼い主が持ち帰るのがマナーだが、ウンコ踏んだら靴を洗えば済む話である。それで済むんだ。
なんならウンコを踏んだ私を笑えばいいのに。ウンコ踏んだんだぜ?ウンコ踏んだら自分で笑っちゃうわ。
まぁウンコウンコ言ってるが例え話である。ウンコは踏んでない。
ただ、なんだか本人はそれほどでも無い事に周りが過剰に煽り過ぎてる事案が最近多い。
自分で決めた事に「なんだか不幸そう」って言われたら余計なお世話じゃボケ!ってなるし、「不幸」とも一言も言っていないただの愚痴に「これは不幸だ」と言われたら何故そうなるんかーい!と思う。
何故だろうと最近ずっと考えていた。
で、昨日とある企画(皆8月の中旬頃は空けておいてね)を話合っていた時に、「ヒロインなんて所詮は酷い目にあうポジションだ」だと言う話になった。
これだと思ったわけです。
他人の不幸に酔いたいのではと(ヒロインになりたい)
例えばまたウンコの例えを活用するが、
「ウンコ踏んじゃったんだよねー」と言って、なんだか他の人が「道を歩くとウンコが落ちてるし、片付けない飼い主も誰だかわからないし、こんな世の中で上手く生きていけない」みたいな感じで最終的に自分の問題にすり替わっている事が多い。
多分自分と同じ不幸な人が居て欲しいのと、それに漬かりたいんだと思う。
ウンコ踏んだのわたしー!!となるし
ウンコ踏んだだけー!!!となる。
不幸に酔いたければ酔えばいいと思う。
不幸に酔いたい時も黄昏たい時も酷く死にたい夜も人間だからそりゃあるし。
自分と同じ不幸を持つ人(またはそれ以上に不幸な人)と一緒にいると励まし合えるし、そこら辺を共有できるとかなり励みになる。
ただね、他人の不幸に酔っても何も励まされないし「うるせー!」と思う事の方が多いからよした方が良いと思います。
私の不幸(?)で勝手に酔わないでー!みたいな。あとべつに不幸ではない。
突然のメシテロを挟んだが、これは豚肉を味噌ダレに漬けて焼いたものだ。
普段はべつに自分が幸か不幸かなんてあまり深く考えなかったが、多分だからこそ私は幸せなのかもしれない。
好きな人しか周りに居ないし、みんな尊敬するほど面白い人達ばかりだ。
味噌ダレに漬けた豚肉も食べられるし、猫のウンコも踏んだ。
ウンコ踏んでたわ。
でもそのウンコは飼い猫のウンコなんで「しょーがねーなー」とか言いながら片してモフモフするのであった。
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